みんなのコンサート



 コンサートでなく、「みんな」のコンサートです。参加者全員でつくっていくコンサートです。おとなも、こどもも、障害を受けたおともだちも、障害を受けなかったおともだちも、みんないっしょになって創るコンサートです。
 所長の原と顧問の立川が30年前に始めました。山手のイギリス館が会場です。歴代の館長さんたちはこの活動にたいへん理解をしめしてくれました。現在も,イギリス館の職員の方々が温かく見守って下さいます。
 なぜかというと、ホールで椅子に座って聞けるようになるまで長い時間がかかるお友達もいたのです。その間、廊下で歩いたり、大声をだしたり、館内から出て行ったりした友達もいたからです。そういうおともだちもホールで聞けるようになりますよ。
 県民ホール、鶴見区会館、金沢区会館、西区会館などを借りたこともあります。ある会館でのことです。舞台の上に上がってきた背の高いお友達がいました。立川のそばにぬーとやってきてフルートをじっと見ていました。立川は感動しました。
 こういうさまざまなハプニングがあるので「みんな」のコンサートなのです。30年前には、障害を受けたこどもが出かけられるコンサートはありませんでした。それは音楽好きのご両親もでかけることが難しいということです。これは不公平なことでしたね。
 所長と立川は障害を受けたおともだちに聞いてもらいたくてコンサートをしてきました。それで30年がすぎました。これからも続けるとおもいます。どうぞ、みなさんも「ともどもに」みんなのコンサートに参加してください。







朋のコンサート


 「社会福祉法人 訪問の家」の紹介によれば、訪問の家「朋」は1986年に設立されました。
 そこにわたしたたちの仲間の島津久子さんの長男が通所しました。それから25年、所長の原と顧問の立川がフルートコンサートをしてきました。
 「朋」は土曜日にお楽しみ会があり、いろいろな分野の方が出かけてコンサートなどをしているようです。私どものコンサートではいつも顔中を音楽にして聞いてくれる「朋」仲間がいます。その笑顔を見ると「生命」という言葉の重みをずしんと感じさせられます。人間には「生命」があるのです。
 島津久子さんと島津賢作さんのためにでかけたコンサートの25年はあっというまに過ぎてしましました。梅雨前のしっとりとした青葉の季節に訪問することが25年も続いたのは「朋」のスタッフの方々の支援があったからですね。感謝しています。
 設立当時、18歳だった賢作さんは、今は、43歳になるのでしょうかね。そうそう、賢作さんは小学生の頃に出かけた、金沢区の野島研修所でのワークショップでは一人歩きをしていました。グランドを、風を切って走り回っていました。その写真をみるとこみ上げてくるものがありますね。
 その後ずっと車椅子の生活になりました。よこはま児童文化研究所の青年部がこれまでずぅぅぅぅぅぅと賢作さんといっしょに活動してきました。トントン広場では輪の中の真ん中にいて、天城子どもと親とのワークショップでは若者が車椅子を押して太郞杉まで行きます。あの天城の山道をみんなで歩き通すことによって仲間意識が育ってきたようです。よこはま児童文化研究所の「ともどもに」が生きて働いている大切な場面です。
 もしも、賢作さんが「朋」に行かなければ「よこはま児童文化研究所」はそこでコンサートをすることもなかったでしょう。人の繋がりの不思議さを感じさせられますね。
 今年ももうすぐおじゃまする季節になりました。

金沢動物園ハイキング



 よこはま児童文化研究所の一年は、毎年、1月4日の金沢動物園ハイキング
から始まります。白梅のみごろにはまだ早いのですが、ローラー滑り台の下の方から風にのって梅の香りがしてきます。
 金沢文庫駅からバスに乗って動物園に行きます。バスの中もとても楽しい時間なのです。いろいろな兄弟・姉妹・親子の風景があります。ああ、家族ってこんなふうにして寄り添って生きているのか!親が子を思い、子が親を思う風景がある、そういう日本の家族の風景を失ってはいけませんね。
 園内はそれぞれのペースで散策しています。右回りの友達もいれば、左回りの友達もいます。でも、一番の楽しみはゾウさんのいるところです。今年はゾウさんの一日のウンチの量をしって驚きました。また1回のウンチの量が10kgと知ってたまげてしまいました。
 キリン、カバ、サルなどを正月の風を頬に受けながら散策し、12時には野の花館に集まり、昼食をとります。おもいおもいの弁当を用意して、みんなでいただくのです。子ども達は、この時間とその後のローラー滑り台の時間が一番好きのようです。なんどもなんども滑って楽しんでいますね。それを見ている大人の顔が午後の太陽に照らされて満足そうに見えます。
 最後に、下の広場で、みんなで写真を撮ります。すこし陽が沈みかけた西日を背にして動物園をあとにします。「また来年の正月4日にきます。それまでゾウさんたち、まっててね」と祈りながら懐かしい動物たちと別れます。












天城子どもと親とのワークショップ




 「天城子どもと親とのワークショップ」はよこはま児童文化研究所の理念である「ともどもに」を体験できる大切な場です。わたしたちは、春、夏、秋と年3回、伊豆天城の山荘に行きます。
横浜平沼橋のそばに集合して、平坂夫妻の観光バスに乗ってでかけます。子ども達は、長くお世話をしてくださる夫妻ととても仲良しです。東名高速を走り、海老名サーヴィスエリア、足柄サーヴィスエリアで休憩をとります。
 足柄でめいめいにお弁当を買い、柿田川公園で円座をつくっていただきます。この公園で昼食をとって何年になるのだろうか。川に富士山を源流としたとてもきれいな水が溢れています。ひかるちゃん達は噴水から流れ出る水に足を入れて、バスが出る時間まで楽しんでいます。
 いつも午後の2時半ころに天城山荘に到着します。やさしく迎えてくれる山荘の方々に青年部たちが挨拶をします。さあ、まちにまった天城だ!!
 しばらく休憩して、浄蓮の滝まで散策します。浄蓮の滝には必ず行きます。車イスで参加する康雄さんを青年部の若者が押してくれます。茶屋から滝までは、田口さんが薦めてくれた救急用のイスを使って降りていきます。甘酒屋で甘酒を飲みながら轟音をたてて落下する浄蓮の滝の水音を聞きます。「ああ、また康雄さんと浄蓮の滝を見ることができた」という思いが湧いてくる一瞬です。急な坂道をまた登り、茶屋でジュースをいただき、山荘に戻ります。春は桜、夏は薔薇、秋は紅葉にかこまれる「天城子どもと親とのワークショップ」です。
 今日は、浄蓮の滝までを紹介しました。


父と息子




所長といっしょに            父と息子

              表彰式              


              母と息子

うっ、うめー          あったけー    
             友情

はい、ピース               

              一人御前

立川とあ・そ・ぼ!



 トントン広場と並んで「立川とあ・そ・ぼ!」があります。乳幼児と小学校低学年のお友達が参加しています。この会は、変更もありますが、毎月第4日曜日に開かれます。よこはま児童文化研究所のあるマンションの集会室が会場です。
 おもいおもいの時間に会場にやってきます。障害を受けた友達、受けなかった友達、そしてお世話をさせていただくおとなが会員です。
 昨日(2010/5/16)が「立川とあ・そ・ぼ!」の日でした。入室するなり立川にいたずらをするおともだちがいます。そんな場面が立川の至福の時間です。
 毎月参加するお友達をみているとはっきりと変化が感じられます。ひとりで電車を見ていたYちゃんが立川とキャッチボールをするようになるのです。また引っ込み思案なMちゃんが立川とおもちゃでいっしょに遊ぶようになるのです。またマイペースのように見えていたM君がおやつの時間におともだちに配るようになるのです。またGちゃんは、遊んでもらえない、おもちゃをかしてくれないと立川に訴えるようになるのです。
 日常、あふれるような情報の中で翻弄されている小さな魂のこどもたちがたったひとつの情報だけを手がかりに心ゆくまであそべる時間は大切です。たったひとつの情報とはともだちと全てを分かち合うことです。ちっぽけなセンベイを参加者で分けていただくのです。物の溢れる日常では分かち合う必要がありません。でも「立川とあ・そ・ぼ!」では分かち合う必要があります。
 ともだちと全てを分かち合うことで自己が確立し、他者を尊敬できるようになります。小さな魂の時代から分かち合う魂が育っていけば、引きこもる必要はありません。
 よこはま児童文化研究所の理念の「ともどもに」は「分かち合いの魂」を小さい頃から自己教育することで出来上がっていきます。

大岡講演会




 大岡講演会は「よこはま児童文化研究所」が皆さん方と接触する大切な場です。25年前に「源氏物語」中の「夕顔」などをとりあげたのが初めでした。これほど長く続くと思いませんでしたが、おいで下さる方々の温かい支援により継続しています。ここにも「ともどもに」の精神が息吹いています。参加型の会話形式がもっともよこはま児童文化研究所らしいのです。
 文学、音楽、美術、映画、精神分析、心理学、哲学、宗教、歴史、政治、経済、教育、進化論などなど多くの分野をとりあげて論じてきました。よこはま児童文化研究所の精神に叶った一本の筋の通った構成で話を纏めることは案外に難しいものです。いわゆる「視点」です。
 よこはま児童文化研究所は「ともどもに」という視点を崩したことがありません。いつ・どこでも・だれとでも・どんなことがあっても「ともどもに」になのです。「ともどもに」が始まりであり終わりなのです。
 話される各話題は「ともどもに」という視点から解剖されます。わたしどもが今・ここで生きているのは全て他者の生命を守るためです。常に他者への意識のない自己は自己と呼ぶことさえ出来ません。自己を形成したのは他者への意識なのです。
 おいでくださる方は日曜日の午前中という寛ぎたい時間帯にもかかわらず足を運んで下さいます。東京、千葉からおいで下さる方がいらっしゃいます。ありがたいことです。
 この会は、隔月に、横浜市南区の大岡地区センターの会議室で行われています。ぜひおいで下さい。